◆埼玉県 浅見幸枝様 抜粋にて

一度決断したら振り返らない。もっといい道があったのかもしれないなどと思わない、という所は特に大きく頷いてしまいました。
それと言葉の大切さ。言葉で人を殺せるほど言葉は武器よりも怖い。しかし感じたこと伝えたいことは言葉にしないとわからない。
本当にその通りだと思いました。

最後に親についてですが1年間皆さんのお話を聞いて皆さんと同じように私も両親には深く感謝しているのですが、
ある本の中に、自分のルーツを親と考えると、行き場がなくなってしまうこともあります。
自分のルーツは宇宙に生み落とされた清らかな魂そのものと考えてください。と書いてあるのを見つけた時ちょっと安心しました。


◆東京都 まるやまみゆき様 抜粋にて

今回は全6回のスクールの中で一番"スクールらしいスクール"でした。
前回までの講師の方々はまあくさんとも仲が良いということで
お二人の会話に参加させてもらった様な感じでしたが、
明石さんの場合は今まであまり聞いたことが無い、聞こうとしなかったお話を聴く事ができ、
まあくさんもおっしゃっていた女性(母になるような人たち、私はありえませんが)でも
知っていなくてはいけない、もっともっと勉強しなくてはと思いました。
そして"人の話を聞く耳を持つ"も心がけなくてはと感じています。
今までのアンニュアージュトークでは好きな人や興味のある人たちの時だけ参加するという選り好みをしていましたが、
スクールではさまざまな方のお話を聴く事ができとても良い機会でした。


◆日野市 サミアッド様(お名前未公表希望) 抜粋にて

最終回の明石先生のお話、大変興味深く伺いました。
明石先生のご両親のお話は具体的にあまりありませんでしたが、
先生の人生の選択を伺っていると、自立した一人の人間を育てた人の薫りを感じました。

このことを考えていると、私はこの講座を通しての一つの結論にたどりついたように思いました。
それは親という存在は自分の中で薫りとしてあるのではないかと。
そしてその香りは自分と混ざり合ってるんだろうなぁと思いました。
それは何か微笑みがこぼれてくるような感じです。
私の感情が親に対してどうであろうと、その香りがどんなものであろうと、私は薫りを頂いているんだという有難さを感じています。
どんなに控えめな薫りであっても、子供の内で薫っていることに親子の美しさがあるのだと、私は思うに至りました。

私は他人に自分の薫りを残すことはできないけれど、子供には微かではあっても
私のそして夫の薫りをしるすことができているに違いないと信じることは、とても美しい気持ちになります。
そして私が生きていることも、平凡ではあっても捨てたもんじゃないな、
だって消えない薫りが私のいのちと共にあるのだからと思うと愉快になります。

親という存在を考えた時、たどりつく答えは星の数ほどあることでしょう。
このスクールに参加して私はまず天を見上げることができました。
そして今ささやかな一つの星にたどりついた想いです。
まあくさん一年間どうもありがとうございました。


◆武蔵野市 会員番号S0112様(お名前未公表希望) 抜粋にて

明石さんは、顔を上げて会場全体を見渡しながら、聞き取り易いスピードで滑らかにお話しになり、慣れていらっしゃるのがわかりました。
また、知らないことは「知りません」とハッキリおっしゃっている潔さが気持ち良かったです。
そして、国家間の交渉の事例についても、平易な言葉でお話しくださるご配慮が伝わってきて嬉しかったです。

お姉さまがよく面倒を見てくれた、とのことでしたが、あの、国連で活躍された明石さんが「家族の交渉ごとが、いちばん難しい!」なんておっしゃっていましたから、
お姉様も、賑やかなご家族を取り仕切る、プロフェッショナルでいらっしゃったのでしょうね。

にこやかに回想なさるご様子から、楽しそうな光景が目に浮かぶようでした。
明石さんが「貧しいせいで、家族の連帯が強かった」とおっしゃったのに対し、まあくさんが「豊かですね」とおっしゃっていたのを、
私もそのとおりだと思いました。故郷を懐かしく思うお気持ちも、宝だと思います。

今回も、この後はご家族とのエピソード等が続くと思っていましたが、第6回はこの後ずっと、明石さんの社会的な立場からのお話でしたので、戸惑いました。
でも まあくさんが途中で「なんで『親という存在』ってゆうテーマで こうゆう話なのかというと、親は、交渉ごとが必要。知らなきゃいけないから」と、おっしゃったので、
私はナルホドと思いました。

今回の構成は、「明石さんは、世界規模で『親という存在』だった」という視点からのものなんですね。広い視野だなあ、と思いました。
ナルホド、明石さんから、交渉の心構えのようなお話を伺っていると、やっぱりポイントは愛情や情熱だと感じました。
視点は違っても、親心の根本は同じですね。

明石さんが、ご家族からの愛情をたっぷり受け継いでいるからこそ、舞台が地球規模になろうとも、人間愛を注ぐことができるのだと、伝わってきました。

国連に入られてからのお話になり、まあくさんが「交渉ごとのコツは?」と質問なさると、
明石さんは「人の話を聞くこと。注意深く知ること」
「違いをわきまえて、と同時に、どこか共通してることが無いか探し出す」
「相手が何を一番してほしいか、問題点の原因は何か、を知ること」とお答えになりました。
いっぺんに、こんなにノウハウが出てくるなんて、貴重なお答えだと思います。
しかもこれ、相手を目の前にして、心中を察しながら、外国語で進めていくなんて、考えただけでも胃が痛くなります。

また、「旧ユーゴ紛争は、ボスニア・セルビア・クロアチアの三つ巴の紛争になった。『国連としては』、中立的な立場を取らなければならない」
「アメリカが勢力を持っているNATOのチカラで、アメリカは『強行、空爆でやっつけちゃえばいいじゃないか』と、単純なようなことを言う」
「でも、そうすれば、やられた人が国連を敵と見なす。どの国とも等距離でなければ、後で、例えば、国連の物資がその国を通過することができなくなるようなことが起こる。
 たとえ、その国が悪くたって、その国を『尊重』しなきゃいけない」というお話を聞いて、とても頼もしく感じました。

明石さん :自衛は武力行使ではない。空爆のボタンを押したことが、十数回あったが、自衛のため。
まあくさん :ピンポイントで。
明石さん :国連ボランティアとして働いていた中田さんのお父様が、カンボジアの首都プノンペンで、「自分の息子は、国連のために亡くなった」と[ニコニコして]言った。
       戦争は、命を粗末にしたという。もちろん、命は大事だが、
まあくさん :特攻隊とは別。
明石さん :世界平和のために、危機に瀕したところに命を捧げるのは、尊いこと。
まあくさん :特攻隊を、2度と繰り返さないための。
            …
↑このお話を聞くと、明石さんの外交がうまくいき、こうして、ご無事でお話を伺えたことを、単純に“よかったなあ”というのは不謹慎だと反省しました。
勝手な憶測ですが、国際機関で仕事に就かれて、報道されずに殉職なさった方は、実は何名もいらっしゃるのだろうと思っています。
明石さんのお姿を拝見できた奇跡に、感謝しなければなりません。

明石さんのお仕事は、技能や使命感など以上に、愛情を持って接することができなければ、務まらない職務だったと気付きました。
お母様の、世話好きな気質と、お父様の、余裕のある、優しい性格は、外交でも生き続けた訳ですね。
明石さんのお子さんも優秀な方たちだと、まあくさんが紹介してくださいましたので、能力のある方たちに、愛情たっぷりの素晴らしい資質が代々受け継がれていって、
よりよい社会になっていきますように。

そして、明石さんが青山霊園を散歩していると、大きなお墓に、知らない名前がいっぱいあるとのことでした。
まあくさんは「この人が『いた』ってことがわかればいいんだから、大きい必要はない」とおっしゃいましたが、
明石さんはさらに「わからなくたっていいじゃない。どうせ我々は土に返るんだから」とおっしゃったので驚きました。
偉業を成し遂げた方は、功績を遺して、足跡がわかるようにしておきたいだろうと思うのに、そうではないなんて。
「やるだけのことはやった」という、誇りを感じました。80歳で、とてもお元気で、そんな境地にいられることって、いい人生だなあと思いました。

最後に、吉川晃司さんが、「俺のは『ガリガリ君』の『ハズレ』でいいよ」っておっしゃったのも、謙虚だなあと思いました(^^すごく、おかしかったです)。

私は第5回の吉川さんの回を欠席してしまったので、今回、初めてお姿を拝見できたうえ、そんな身近で気さくな人柄だったと知ることができて、よかったです。


◆愛知県 ふーちゃん様(お名前未公表希望) 抜粋にて

カンボジアで中田さんが亡くなったときに、父親が、「息子は国際平和のために倒れたんだ」と笑顔で話されたエピソードを紹介されて、
日本は敗戦後「命は地球より尊い」と定義されているが、世界の平和のために命をかけるということが尊い」と断言された。平和に捧げられた人生を思います。

吉川氏登場で、ことばで困ることの質問に、「国によって、中東ではラクダに関することば、日本では雨に関することばが多い」
と答えられた。ただ日本人は人間は同じ感覚を持っていると感じているが、外国人と日本人は出発点が違う、文化や性の違いと同じと考えるべき、には感心した。

私にとっては、新しい出発1年目に、すばらしい講師と、親の立場を考えさせられました。
すでに成人した娘たちですがまだ親の存在が必要で、今後も必要とされる親であるようにいたいと思います。