◆日野市 砂川まり子様

        親という存在」 一体どんな講座なのだろう。
        親というテーマで講師自身の生き方を明確に打ち出すという、ちょっと謎めいた趣旨に興味をひかれ参加しました。

        冒頭の「親を語ると素が出る」というまあくさんの言葉に、長年のアンニュアージュトークから一歩進んだ形で
        講師自身の存在の核を対話で明らかにしながら、観客も自分の核と向き合う機会になる場なのかもしれないと思いました。

        姿月さんは講座唯一の女性講師であり、まあくさんとの対話には女性同士ならではの共感があり、なるほどと思いました。
        たとえば、親がボケっとしてくるとカチッとしてくるという話を自分におきかえてみると、それはいくつになっても親に
        対して自分の気持ちとの同一感を期待してやまないということではないかなと思いました。
        そしてそれは、たとえ早くに自立していて一緒に暮らしていなくても精神的に親がそばにいて言葉に出さなくても自分を
        肯定してくれているという絶対的な安心感の中で生きてきたからではないでしょうか。これはとても幸福なことだと思います。

       「人が他人のためにできる最善のことは、その人の側にいることである。」と
        オーストリアの作家アダルベルト・シュティフターが
        語っている愛を受けてきたからこそ生じる、カチッであるからあの会話を聞いていて私はとてもほほえましい
        気持ちになったのでしょう。
        語られた毎月届く手紙のエピソードはその証だと感じました。
        親と子生きてきた時代も、今生きている世界も違います。親にも感情が洪水のようにあふれそれを子供に言いたくもなるけれど、
        永遠に年長者である親は自分がわからない現実を生きている子供に対して最善の選択をしようとするならば、
        子供がいつも自分の側には愛が一緒にいる安心を与える道を選択するのではないでしょうか。
        講師として一生懸命な姿月さんをひしひしと感じながら、私は姿月さんの存在の核がこの真剣さと重なってみえました。

        親も子も年を重ねるごとに関係は微妙に変化していくものです。
        講座の最後で話題になった介護の問題は、その変化が互いの学びのクライマックスとなる大きなテーマです。
        だからいつかじっくりと時間をかける場を期待します。
        そして今回の講座を通して得た気づき、精神的に一緒にいるということがこの問題にひとつの指針を与えてくれるように思います。

        最後の質疑応答では、勇気がなくて手を上げられませんでした。
        私は、姿月さんが結婚してご主人の親という存在ができてご自身の親に対する視座にどのような広がりができたかをお訊きしたかったです。
        もし、次回まあくさんから姿月さんのおこたえをお聞きできれば幸いです。
        一回一回の講座が「親という存在」というテーマでこれからどのようなつながりをみせてくれるのか、
        とても楽しみになった姿月講師の回でした。